周囲の人との関係

24時間便意を抱えている辛さは周りの人に理解してもらいにくく、家族もどうしたらいいかわからず悪循環に陥りがちだが、努力して対話をすることで楽になれると思う

インタビュー01
診断時:49歳  インタビュー時:59歳(2010年8月)
首都圏在住の会社員。妻と二人の子供がいる。2000年夏、海外出張先で大量下血し、帰国後潰瘍性大腸炎と診断される。7週間入院してプレドニン大量投与と輸血で恢復するも、翌年6月に再燃。再びプレドニンの大量投与で退院できたが、またいつ再燃するかわからないと思い手術を決意。大腸全摘と一時的な人工肛門造設、Jパウチの造設、人工肛門閉鎖と3回に分けて手術を受けた。3回目の術後、自然排泄がうまくできるようになるまでの3ヵ月間は大変苦しい思いをしたが、現在はほぼ完治している。
--3回なさった手術について実際にどのような手術でどんなふうに大変だったのかをお話いただけますか
 この病気はなかなか周りから見てわからない病気だと思います。痛いとか熱が出るとかではないので、多分周りの人は理解しづらいと思います。私の女房は専業主婦なので、私が退院してからしばらく家にいた時もずっと面倒見てくれていたんですが、最初のころは私もなんて表現していいかわからないわけです。苦しいのだけれど、痛いというのとも違って、24時間というか起きている間はずっと便意を抱えているわけで、トイレに行きたいんだけれども、出ないんだろうなとか思いながらいるという状況なんですね。それをだからどうしてほしいの、というのが自分でもわからない。例えば背中をさすってくれたら楽になるとか、頭冷やしてくれたら楽になるとか、そういうのがないんです。だから自分でもどうしてほしいか言えないし、言わないので、家族もどうしてあげたらいいかわからないのだけれど、見ているととにかく苦しそうで、辛そうなんだけれど何もしてあげられない、というような状況が最初のⅠ-2カ月続いていました。ですから会話がだんだん少なくなっていって、それでもたまには散歩でも行った方がいいんじゃないかといわれて、行くんですけどだめなんですね。100メートルも行かないうちに戻ってきてしまって、結局家にジーッと閉じこもってしまう状況でしたから、会話もどんどん少なくなって行きました。その時に女房がついに切れて「何か言いなさい。何にも言わなきゃわからない。何かやってほしいことがあったら言ってちょうだい」と言われました。私もその時確かに何も言わなかったなということに気がついて、それから色々話をするようになりました。それで一緒になってインターネットを調べたり、鍼を打ちに行ったり、いろんな民間療法で、爪もみとかもやってみたりしました。それから食事も、グレープフルーツジュースをたまたま飲んだ時調子がよかったとかすると、じゃあグレープフルーツジュースをたくさん飲んでみようかとか、そういうことを一人でやるんじゃなくて、女房と話をしながらやりました。特に食事については、これは調子が悪くなったからやめようとか、そういう会話ができてきた。それでお互いに楽になったかなという部分はありました。なかなか表現しづらいんですね、自分の症状を。またトイレの話ですからあんまり露骨な表現がしづらいし、そんなことで段々だまってしまう。そうすると家族もどうしていいかわからない、という悪循環があったように思います。そのあたりは患者会などに行くと同病の人はわりと理解しあえるので、話が弾んじゃうんですね。そういう話が家族の中でもできればお互いずいぶん楽になるのではないかという気がします。
インタビュー01:プロフィール
徴候と診断
海外出張中に風邪のような症状から突然の大量下血があり、帰国後潰瘍性大腸炎の診断を受けた
治療法の選択
最初に発症した時も再燃した時も大量下血で始まり、 ステロイドを大量投与したので、そんなことを繰り返すわけには いかない、と手術を決意した
手術の後のこと
人工肛門を閉鎖した後の3ヶ月は自然排便がうまく行かず、 1日のトイレ回数が多いときには30~40回に上ったが、 今は1日4~5回で日常生活に支障はない
周囲の人との関係
24時間便意を抱えている辛さは周りの人に理解してもらいにくく、家族もどうしたらいいかわからず悪循環に陥りがちだが、努力して対話をすることで楽になれると思う
手術について
1回目で大腸を摘出し人工肛門を作り、2回目では小腸を使ってJパウチを作成し、3回目で人工肛門を閉じて直腸と繋ぎ自然排泄ができるようになった
病気をして自分が変わったこと
病気は確かに辛かったけれどその後の事を考えると、プラスマイナス、若干プラスかもしれない