--3回なさった手術について実際にどのような手術でどんなふうに大変だったのかをお話いただけますか
この病気はなかなか周りから見てわからない病気だと思います。痛いとか熱が出るとかではないので、多分周りの人は理解しづらいと思います。私の女房は専業主婦なので、私が退院してからしばらく家にいた時もずっと面倒見てくれていたんですが、最初のころは私もなんて表現していいかわからないわけです。苦しいのだけれど、痛いというのとも違って、24時間というか起きている間はずっと便意を抱えているわけで、トイレに行きたいんだけれども、出ないんだろうなとか思いながらいるという状況なんですね。それをだからどうしてほしいの、というのが自分でもわからない。例えば背中をさすってくれたら楽になるとか、頭冷やしてくれたら楽になるとか、そういうのがないんです。だから自分でもどうしてほしいか言えないし、言わないので、家族もどうしてあげたらいいかわからないのだけれど、見ているととにかく苦しそうで、辛そうなんだけれど何もしてあげられない、というような状況が最初のⅠ-2カ月続いていました。ですから会話がだんだん少なくなっていって、それでもたまには散歩でも行った方がいいんじゃないかといわれて、行くんですけどだめなんですね。100メートルも行かないうちに戻ってきてしまって、結局家にジーッと閉じこもってしまう状況でしたから、会話もどんどん少なくなって行きました。その時に女房がついに切れて「何か言いなさい。何にも言わなきゃわからない。何かやってほしいことがあったら言ってちょうだい」と言われました。私もその時確かに何も言わなかったなということに気がついて、それから色々話をするようになりました。それで一緒になってインターネットを調べたり、鍼を打ちに行ったり、いろんな民間療法で、爪もみとかもやってみたりしました。それから食事も、グレープフルーツジュースをたまたま飲んだ時調子がよかったとかすると、じゃあグレープフルーツジュースをたくさん飲んでみようかとか、そういうことを一人でやるんじゃなくて、女房と話をしながらやりました。特に食事については、これは調子が悪くなったからやめようとか、そういう会話ができてきた。それでお互いに楽になったかなという部分はありました。なかなか表現しづらいんですね、自分の症状を。またトイレの話ですからあんまり露骨な表現がしづらいし、そんなことで段々だまってしまう。そうすると家族もどうしていいかわからない、という悪循環があったように思います。そのあたりは患者会などに行くと同病の人はわりと理解しあえるので、話が弾んじゃうんですね。そういう話が家族の中でもできればお互いずいぶん楽になるのではないかという気がします。
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